『知る』こととは、すなわち『自由』を得ることである。
どうも、最近WiMAXデビューをしたkaakikoです。
日本語だと「教養」なんていう訳語が充てられて、
なんだか哲学や歴史を学ぶことであると同一視されていますが、
本来は「リベラル(自由にする)」「アーツ(技術)」のことを指します。
つまり「哲学や歴史の本を読むこと=リベラルアーツ」とは、一概に言えません。
最も広く言えば、リベラルアーツとは「自分を自由にしてくれる物事全て」を指します。
昨今、新型コロナの影響で閉塞感が高まっている方も多いかと思います。
そこで今回は、「自由には責任が伴うんだぜ」なんて議論は一旦わきに置いて、
どうすれば自分自身を自由にできるのか?について語ってみたいと思います。
思い込みから脱却して「自由」になる
自由になる方法を考える前に、まずは「何から自由になるのか?」を明確にしましょう。
色々ありますが、その一つは「自分の思い込み」です。
あなたは今までに、
「どうしてあの人はいつもああなの」
こんなふうに、周りの人に対して怒り・憤りを
感じたことはないでしょうか。
あるいは、
「この人はなんだかウマが合わない」
「どうして自分はいつもこうなんだ」
こんな息苦しさを感じたことはないでしょうか。
こういった、レモンサワーのレモンのように、
強い外圧によって心がぎゅっとつぶれされ、自分の大事なものが搾り取られていっているような、そんな気持ちになっているならば、
その瞬間の私たちは「思い込み」に囚われ、「自由」を失っています。
思い込みによって閉塞感が生まれているならば、思い込みを外せば「自由」を取り戻せます。
何にもとらわれない、のびのびとした平常心が舞い戻ります。
自由になるコツは「物事のメカニズムを知る」こと
よく「マイナスの作用が働く類の思い込みは外せ」と言われますが、気合根性では残念ながら外すことはできません。
なぜなら、思い込みは「それしか見えていない」状態であり、思い込みの外にあるモノは「視界にない=存在していない」に等しいからです。
人間は、存在を認識しているものしか基本的には信じないので、存在していないと思っているものをがんばって「実は存在している」と認識しようとするのは、幽霊の存在をむりやり信じるのと論理的に一緒で、けっこう大変です。
ではどうやってなるべく抵抗なく、思い込みから自然に脱却していけるのか?
この命題については、様々な心理学者や哲学者が議論しているので、詳しくはそちらも参照していただきたいのですが、
私の経験でいえば「もっともっと、知ること」。
これに尽きるんじゃないかな、と思います。
コツを1つ挙げるとすれば、物事のメカニズムを知るということ。
思い込みから自由になるために手軽に実践できる、おすすめな手段の1つです。
私が経験した、「メカニズムを知る威力」
以前、私の職場にBさんという人がいました。
若手社員だったころの私は、そのBさんが嫌で仕方ありませんでした。
(今はかなり改善されていますが)
なぜなら、なんでもソツなく、器用にやれているから。
資料作成も速く正確だし、文章も理路整然としていて、マネージャーから称賛される。
相談・確認すべきことをきっちり押さえていて無駄な自己判断がなく、やるべきことをいとわずに淡々とやり抜く。
その一方で、褒めると非常に謙遜する。決しておごらない。
で、極めつけは、私より何年も年下である、ということ。
こんな、年下なのに、能力も人格も完璧で周りから可愛がられているBさんが褒められるたびに、
心の底からBさんに嫌悪感を感じるときがありました。
Bさんを見るたびに、自分自身がとても惨めに思えたからです。
この感情がいわゆる「嫉妬」であることはすぐわかりました。
しかし、同時にそのような感情をもつことは「社会人として、大人として恥ずかしい、幼稚だ」という気持ちもありました。
Bさんに対する嫉妬と、その気持ちを打ち消そうとする理性の2つに挟まれた私は、
「生きるとはこうも苦しいものなのか」と、
なんともいえない気持ちに窒息しそうになっていまいた。
このようにもんもんとしていたのですが、
あるとき、心理学用語で投影という概念に出会いました。
「何か、あいつを見ているとイライラ来る!」などという時に、この投影が働いているわけです。それは無意識的なものですから「何だか虫が好かない」などというように本当の理由はすぐにはわかりません。この時、無意識に蠢いた心をあえて言葉にしてみると「せっかく私が我慢したり押さえこんだりしていることを、なんでお前は平気でやっているのだ!」などといえるでしょう。自分は真面目に「こういうことは我慢しないと」と頑張って我慢していることを、あからさまに体現されてしまっているのでは確かに腹も立ってきます。
苦手な人や馬が合わない人との関係で苦しんだり、家族関係でのいざこざなどの背景に、この「投影」と名付られた心の動きがあるのです。
語弊を恐れずに簡潔に言うと、投影とは、
自分に内在している「受け入れがたい欲求や感情」を他者に映し出し、
場合によっては攻撃することで、心の安定を保とうとする心理メカニズムです。
投影には色々な事例がありますが、
私の場合は、
「本当はBさんのように可愛がられたい」
という感情が自分に内在していることを認めたくないがゆえに、
その感情を発生させる原因としてBさんを攻撃していたのです。
(Bさんからしたら、たまったものではありません。。。><)
私がBさんと同じ年次だったときは、
上司と折り合いが合わずに喧嘩し、同僚とうまくなじめずに距離を置かれ、どこにいくにも何をするにもずっと独りでした。
その結果、いつの間にか「人からの愛情を求めてはならない」という抑圧的な価値観が、私の中で強化されていました。
そんな私が望んでも得られなかったものを全て持っているBさんを見るたびに、
「私も愛されたい」という「受け入れがたい欲求」がむくむくとわいてしまい、
それによって自分自身の価値観が否定されているような気がしていたのです。
だからこそ、Bさんを攻撃することで心の安定を得ようとしていたのです。
(Bさん、本当にすみません。。。)
強い嫉妬心の正体は、この投影というメカニズムによるものでした。
で、この事例のポイントは、投影という「心のメカニズム」を知ることです。
メカニズムとは、文字通り「仕組み」なので、個人に依存しません。
「全てに通ずる普遍的なもの」を指します。
今までは「個人的な嫉妬心」という説明で済ませていたこの感情を、改めて「人間が皆持つ心のメカニズム」の一端としてとらえなおす。
それによって、
「あ、このようなもやもやは、私個人というより、人間だから生じているものなんだ」
「だから、同じような葛藤を感じている人は、私以外にも普通にいるんだ」
と思えるようになりました。
今の自分の心理状態が決して異常ではないと分かると、「愛情を求めてはいけない」という頑なな価値観が少しずつ融け始め、
もっと素直に自分の本音を受け入れるようになりました。
それと同時に、Bさんに対して感じていた強い嫌悪感も、以前と比べるとかなり和らいでいったのです。
このように、1つの価値観に囚われていた私は、心の「メカニズム」を知ることで視野が広がり、少しずつ「自由」になっているように思います。
ただ、物事のメカニズムに関する知識に限らず、単純に今まで知らなかった一面を知ることで見方が変わり、それによって自分の気持ちも変化するという現象は、わりと日常的ではないでしょうか。
たとえば、普段は厳しい上司が実は大の甘党だと知ると親近感が増す、
商品の開発秘話を知ると、その商品への愛着が高まる、
なんていうのもその好例だといえます。
もちろん、知ることによってかえって不快感を感じることもありますが、
その場合はさらに別の一面を知ればいいだけです。
いずれにせよ、知ることによって確実に、自分の見ている世界は変化していきます。
知ることによって、閉塞感を打ち破ろう
知ることは、ちょうど山登りに似ています。
ふもとにいる段階では、目の前にそびえたつ岩肌か、1本1本の樹しか見えません。
目の前にある樹が「世界の全て」に見えている状態です。
しかし、知識という山をどんどん高く上っていくことで、目の前の1本の樹がだんだん小さくなり、代わりに「今まで見えなかった別の樹」も見えるようになります。
「樹には、実はいろんな種類があるんだ」ということが分かるようになるのです。
この瞬間こそ、「世の中にはこの樹しか存在しない」という思い込みから脱却した瞬間です。
ふもとにいながらにして森全体を把握するのは困難ですが、高く上れば簡単に把握できますよね。それこそまさに本記事でお伝えした「自由」な状態そのものです。
自由になることで、自分の短所を受け入れたり、好印象をもったり、感動したりと、自分の世界はどんどん広がります。今まで見えなかった新たな風景が見えるようになっていきます。
なので、もし今現在何か閉塞感を感じているのであれば、無理やり脱却しようとするより、もっと知の大海に飛び出してみるのも一つの手かもしれません。
今回書きたいのはそれくらいです。